このブログでは、
ヨガ初心者さんやまだヨガをしたことがない方に向けて
ヨガ哲学を日常生活に例えてお伝えしています。
数千年前から伝わるヨガの英知には、
私たちの日常を生きやすくするヒントが詰め込まれています。
マットの上で身体を動かすだけではもったいない。
ぜひヨーガの本質に触れて、日常生活で実践してみてくださいね♪
★こんな方におすすめ
・ ヨガを始めたばかりの方
・ 始めてみようかなと検討中の方
・ ヨガと他のエクササイズの違いが知りたい方
今回の初心者さんのためのヨガ哲学は、
【 ものごとの捉え方 】がテーマです。
「・・・え?ヨガ関係ある?」というかんじでしょうか(^ ^;)
マットの上でアーサナを練習するときも
日常生活で人と関わり過ごしていく中でも
最も難しく、そして、最も自分を成長させてくれる修行があります。
それが【ジャッジ=判断しない】ということ。
「良い・悪い」って誰が決めたの?
こんなシチュエーションをイメージしてみてください。
とある独身女性がいます。
彼女には、1年ほど彼氏がいません。
飲み会もすっかり減ってしまったので、
最近はマッチングアプリを使っています。
1週間後にマッチングアプリで知り合った男性と食事に行くことになりました。
アプリでやり取りする限りでは、
とっても良い人そうで、すごく楽しみにしていました。
そして当日。
その男性が予約してくれていたお店は雰囲気も良く、お料理もおいしかった。
会話も弾んで楽しかったのですが。。。。
お会計は【 ほぼきっちり割り勘 】でした。
彼女の心の声「え?割り勘?・・・」
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さて、婚活中の女子にとっては意外とあるあるなこのシチュエーション。
あなたはどう感じましたか?
今、記事を書いている私の年代(昭和生まれ)であれば、
女性同士、友達同士の間でなら
「えー、割り勘とかありえへーん!」
「ないなー!」
などなど、こんな会話が繰り広げられるかもしれません。
だけど、若い世代、平成生まれの人なら
「割り勘は当たり前」
「割り勘の何か問題でも?」
「え?なんかおかしいとこあった?」
と思う方もたくさんいるかもしれません。
意外と根強く残っている価値観
【 男性が多めに払うべき 】
これって誰が決めたことでしょうか?
実は、誰もが「固定観念」に捉われている
生まれた場所、国や時代
その時々によって生活様式や
社会の風潮はまったく異なるものです。
いわゆる「常識」と呼ばれるものは
時代によって違っていたります。
たとえば、
結婚したら女性は家庭に入って
子どもを産み育てるのが一般的だった時代もありますよね。
そして、男性が外に出てお金を稼いでくる。
それが一般的な社会・家庭の在り方だったからこそ
経済力や生活力の表現・アピールとして
“デートでは男性が多めに払うべきもの”
という価値観が生まれたのかもしれません。
だけど、現代では多くの女性が結婚後も仕事を続けていて
子育てと仕事を両立させています。
日本経済だって、30年前と今では状況が全く違うし
かつての価値観では、通用しなくなっていることが
山のようにあります。
歴史を遡ったり
さまざまな視点から見てみると
答えは1つではないし
「良い・悪い」「正しい・間違い」は
誰にも決めることができないのです。
そうして私たちは育った環境・時代・文化によって
知らない間にたくさんの
「~するべき」
という固定観念が植え付けられているのです。
それらの固定観念が
怒りや悲しみ、恐れといった感情や
執着の種になっていくと考えられています。
みんな違う「種」を持っている
前述したように
生まれ育った環境、出会った人々、経験によって
私たちのなかには、固定観念という「種」が植えられていきます。
だけど、
似た境遇はあったとしても
自分と全く同じ経験をしてきた人はいないのです。
100人いれば100通りの人生、経験があり
100の異なる「種」をそれぞれが持っている。
要は、
自分にとっての“常識・当たり前”は
他人にとっては“常識・当たり前ではない”
ということです。
でも私たちは、ついうっかりそのことを忘れてしまいがち。
誰かの言動に対して
「ありえへん!」と怒ってみたり
自分自身の行動でさえも
「~できない自分はなんてダメな人間なんだろう」
といったように
何かにつけて、
物事・出来事に対して判断を下して、
良い悪い・正しい間違っているっといったように
ジャッジしているのです。
自分自身を含めて、誰かをジャッジして、批判している時
その価値観・固定観念に捉われて苦しめられているのは
ほかでもない自分自身なのです。
捉われの無い心を育むこと
人間関係においても
アーサナにおいても
捉われのない心を育むことがヨガにおいては修行になります。
・カラダが硬い自分を責める
・他の人のようにポーズが上手にできない自分を恥ずかしく感じる
・自分の方があの人よりアーサナが完成していると得意になる
そんな考えがよぎってしまうことはないでしょうか?
その考えに捉われて、「もっと努力しなくちゃ!」と焦ったりしなくて良いのです。
それらのジャッジは、心の波のようなもの。
ただ沸き起こって、過ぎ去っていくのを見るだけで良いのです。
ただ身体の硬さを感じる。
ポーズができない、のではなく、いまのカラダの状態を知る。
そして、淡々と練習を重ねていくだけ。
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心にある種によって、判断が生まれ、
判断によって、感情が生まれ、
感情によって行動し、
行動によって経験が生まれ、また新たな種を生む。
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心の中にある「種」に気づき
1つ1つを手放し
批判・ジャッジを持たず
ただありのままに「出来事を観察する」。
それは、出来事に左右されない心を育み
受容する豊かな心を育むことにつながるのです。